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ちゃん、ボタン取れてるよ」
「え?」

4月10日 来神学園

新学期が始まったばかりの校内はまだどこか浮き足立っており、放課後には皆下校しきっていた。
は今年度の生徒会に選出され、その日も打ち合わせやら雑務で生徒が殆ど居ないこの時間まで校舎に残っていた。

全ての用事を済ませ教室へ荷物を取りに戻ると、部屋に残っていた折原臨也に声をかけられた。

折原とは三年で初めてクラスが一緒になり、それまではあまり話した事も無かった。
彼に関する様々な噂は彼女の耳にも当然入っていた。
そういった事情から折原とには今の今まで接点が無かった。

だから教室に残っていたのが折原臨也という事に、
その折原が自分に話しかけてきた事に、
そして自分のジャケットのボタンが取れかかっている事を指摘された事に、

三重に驚く事になった。

「……あ、本当だ! ど、どうもありがとう……」

はジャケットのその部分を手で重ね合わせると、そそくさと鞄を引っ掴み教室を後にする。
いや、後にしようとした。

「それ、直さないの?」
「あ、あー……後で!後で直すから大丈夫!」

の動きが止まった。
顔にはバツの悪そうな笑顔が張り付いている。
折原の方を振り向いてはいるが目線は宙を泳いでいる。

大して折原はそんな彼女に待って、と言って一歩ずつ距離を縮めていく。

「え、何……?」

同じ場所から動こうとしないに対してつかつかと教室の机の間をすり抜けて彼女に迫る。
あと1メートルという所で折原はに手招きして言った。

「つけてやるから、貸して」
「え!? お、折原君が?!」
「そうだよ、今ここにはちゃんと俺しかいないだろう?」
「でも……」
「いいから」

は躊躇うが、折原が差し出した手に促されておずおずとジャケットを渡す。
一緒に渡された裁縫セットから針と糸を取り出す。

「丁度良い色が無いね」

折原は何度か使用された形跡のある裁縫セットからまだ色の合いそうな糸を見繕って一本取り出した。

「折原君ってお裁縫出来るんだね……」

がつぶやいたが折原はそれを無視して手を動かす。

まだ部活動も本格的には動き出していないためグラウンドには誰もいない。
廊下も同じだ。
三年の校舎は職員室などとも離れているため、教室は布がこすれ合う音だけが響いている。

折原は無言で糸の端に玉を作って、一度とれかかっているボタンを外す。
ぼろぼろの糸くずを捨てると、ボタンを布にあて、穴に針を通す。

流れるように無駄の無いその作業をは黙って見つめていた。
折原の手元に意識を集中させて、なるべく顔を上げないようにしていた。

もし今彼と目が合ってしまったらどんな反応をしたら良いのかには分からないし、考えている余裕も無い。
だからは下を向いたままつぶやいた。

「それにしても……何で折原君がボタン付けなんて……」
ちゃんがそのままにしようとしたからだろう」
「私のせい……かな」
「そうだね。ちゃんのせいだ」

はより一層顔をあげられなくなった。

折原はしゃべりながら器用に手を動かした。
手元でボタンは元通りの姿になり、折原は持っていたジャケットをのもとへぽんと投げ返した。

はわ、と声を上げながらそれをキャッチする。

「ごめんなさい……なんか……」

少し照れくさそうに折原に背を向けていそいそとジャケットを羽織る。

「…………」

の表情豊かな顔の作りは悪く無い。
むしろ可愛らしく整っている方だ。

取れたボタンを気にしなかったり、少々引っ込み思案な所も別に良いんじゃないかという気になる、折原は。
折原は二年の頃のを知っていた。
確かバレー部のエースだとか言う男に告白されていた。その現場を見た。

折原の情報が間違えでなければ今も続いているらしい。

「むかつく……」
「え!? 何!? も、もしかして私……」
「違うよ」

相変わらずくるくると表情を転換させては驚いていた。

その顔を見て折原は少し気持ちが安らぐ。
その事に折原は驚いた。

けれどそれは隠して平静を装おう。

「ボタン……本当にありがとう」
「別にいいって」

もごもごと少しだけ顔を赤くして言葉の最後が消え入りそうになっているを折原は見て思った。
どうやらまだまだ望みがありそうだ、と。
人の良さそうな笑顔はそのままに向けておいて、内心でほくそ笑んだ。

知らない男なんかに渡さない、と。

「っていうか、まだ帰らないの? さっき急いでなかった?」
「あ……せっかく折原君とこうやって話が出来たから、あと少しだけ……」

その台詞で一瞬折原の理性が消えた。

ちゃん……」
「ん?」

力強く、彼女の肩をつかんだ。
突然の行動に、目をいっぱいに見開いて折原を見つめるの顔にゆっくりと自分の顔を近づけ、

「何やってんだ、臨也」

近づけようとした顔は見事に空振った。
突然開いた教室の後方の扉の向こうに立っていたのは門田。

「あ、。こんな時間まで何やってんだ?」
「は!?……えっと……これから帰る所だったの」

はひどく慌てた様子で折原から背を向けて扉の向こうへ駆けていった。

その姿に折原は視線を寄せる。
が出て行った扉とは反対側の扉へ目をやると門田が立っている。

何も言わないので折原は自分から問いかけてみた。

「何?」
「いや、邪魔したか?」
「ああ、本当に良いところで邪魔してくれたね」

あと少しだったのに。

門田は同じ調子でそうか、と頷いた。
それからさらりとこう続けた。

「悪い。わざとだ」

思わず折原は立ち上がる。
教室の中に椅子が倒れる音が響いた。

「何で、」

愚問だと思いつつも問いかけてみる。
表情をあまり崩さずに彼は淡々と答えた。

「いや、守ってやらなきゃなー、と思って。あれは」

それだけ答えて門田も折原に背を向けての方へ歩いていった。
その背中を見送って、手の中にあった糸くずをつまみ上げて折原はぽつりと呟く。

「同感」

ひらひらと水色の糸が折原の指先で揺れていた。